2003年の活動紹介

2004年分 2005年分

6月11日 人吉・球磨地方へダムに依拠しない農業振興をと利水事業計画地を視察
 農水省では農地とされている造成地には粘土状の石の混じった大きな塊がごろごろしており、周囲の山の斜面を削りかぶせただけの土地が放置されていました。
 農家の声やその土地の条件を無視し、ダム先にありきの利水事業の本質をありのままに映し出した光景でした。
7月8日 小沢和秋前衆議院らとともに諫早干拓事業の現地調査
 調査では、干拓地内においてゆるい地盤を固めるため、1立方メートルあたり40キロ、全体で2002年までに11000トンの生石灰が使用されていることがわかりました。中和処理をしているとの説明がありましたが、生石灰が調整池を介して有明海にどのように流れているのかわからないことが明らかになりました。
7月9日 国道219号線崩落現場、・荒瀬ダム・鏡町の産廃施設の調査
 大雨によって約30メートルにもわたって道路が崩落しており、通行止めになっていた国道219号線。
 温泉センター道の駅も大幅な減収になっていると、村職員からの声を聞きました。
 早期の復旧を県に対しても要求しました。
7月12日  熊本市で記録的な集中豪雨
 7月12日、集中豪雨で熊本市の各地の小河川が溢れ出し、住宅や学校に水が流れ込みました。
 河川からの溢水を防ぐため市民と協力して土嚢を積み上げるなど全力を挙げました。
 今回の事例は都市型水害の典型例であり、原因が白川・加勢川のの改修の遅れにあることを指摘し、早期の改修を国に要請しました。
7月15日 イラク派兵法案反対の昼休みデモに参加
 無法なイラク戦争の根拠がどこにあったのか、そのことを示すことができないまま小泉政権は自衛隊のイラク派兵を決めました。
 「自衛隊にイラクの人々を殺させてはならない」「自衛隊から被害者を出してはならない」「復興は平和的な手段で!」と繁華街を訴え歩きました。
7月20日 「水俣豪雨災害〜現地視察と被災者激励」
 宝川内地区・深川地区の土石流災害でなくなられた方のご冥福を心より申し上げます。

 「水俣で土石流発生、多数の行方不明」という情報が伝えられ、直ちに水俣に直行。被災者激励や要望などを聞きました。
 また、日本共産党水俣市議団とも連携し、 床下・床上浸水のあった地区での消毒対策を県の防災本部に求めるなど、全力を挙げました。
 その後、23日には津奈木町・芦北町・水俣市を訪れ、自治体としての被害状況や要望を調査。調査に基づき24日には県に対し申し入れを行いました。
7月28・29日 「市民団体とともに予算編成に伴う対政府交渉」
 民主団体とともに、予算編成にあたって国への交渉を行いました。交渉は2日間で7省1庁と内閣府に対して行われました。
 小・中学校の耐震診断に対する支援やホームレスの健康対策、水俣豪雨災害の支援の要望などについて交渉を行いました。
8月5日 五木東小学校解体の見直しを〜国土交通省川辺川ダム砂防事務所にて
 「五木村の文化的財産・五木東小学校の取り壊しをやめよ。」と国土交通省川辺川ダム砂防事務所を訪れ、申し入れを行いました。
 また、川辺川ダム建設計画によって様々な困難に直面してきた、五木村・相良村の社会・生活基盤の整備をダム計画と切り離して行うよう要請しました。申し入れ文はこちら
8月15日 「戦争反対!平和な世界を」と毎年恒例となっているちょうちん行列の参加者と
 23回目を迎える「平和ちょうちん行列」。悲惨な戦争の教訓を風化させないため、毎年終戦記念日の8月15日にちょうちんを持って中心街を行進し、平和を訴えます。
 参加者の皆さんとともに歩く様子です。
9月1日 暗い道路に街灯を!県道・供合線にて
 運動公園と市内を結ぶ県道供合線は道路の両側から木の枝が空を覆うようにかぶさっており、街灯がないため夕暮れから暗くなります。 通学や通行に大変危険であるという声が住民から届き、早速調査に出かけました。
9月10日 球磨川中流域の水害対策調査
 球磨川中流域の住民の方が、「家の2階を泳いで避難し、裏山へ逃げた。」と当時の洪水の状況を語ってくれました。2階の壁にはこれまで起きた球磨川洪水の水面の位置が刻み込まれていました。
 驚くことは未だに水害対策の計画すらないことです。
 流域住民の生命・財産を守るため、水害対策にいち早く取り組むことが必要になります。



日本共産党熊本県議会議員 松岡徹
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