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コラム

日本一高い、県議会の「費用弁償」

「熊日」3月10日付の一面トップ記事。費用弁償(主に交通費)で、「日額の上限が、(全国で)最も高いのは、熊本県の34.300円」。「外部監査報告書でも指摘されている。車がほとんど普及していなかった、1953年(昭和28年)の交通事情をベースに計算すること自体おかしい。直ちに実費に改めるべき」と。県議会本会議で、再三指摘してきた。一週間のアメリカ視察のうち、2晩もラスベガスに泊まるような公費での海外視察の凍結、政務調査費報告の領収書添付と合わせて。
 市民団体からも県議会へ請願。一昨年の「海外視察凍結」については、私以外のみんなで否決。15日閉会した今期最後の県議会では、「海外視察凍結」「費用弁償の実費支給」「政務調査費報告の領収書の添付」の請願が、私と岩中議員(荒尾市選出・新社会)以外によって、継続審査イコール廃案にされてしまった。
 川辺川問題などで、心ある議員と(県議会内での)共同を進めたいと願うし、つとめてきた。しかし「議会の無駄遣い」問題の対応では、不一致。これについては、市民の審判・ご意見をいただきたい。
07.3.25
一般質問を終えて

4年の任期で6回に制約されている本会議での一般質問。7日に6回目を終えました。知事の水俣病問題への思い、貧困と格差の拡大と県政―私流に表現すれば、「福祉の心で県政を」-についての、考えを問いました。傍聴者から、「知事の気持ちが伝わってきた」などの感想が寄せられました。
 具体的な課題では、水俣病、川辺川ダム、就学援助、労働・雇用、大型店対策と県のガイドラインの改正、同和問題を取り上げました。それなりの前向きの答弁を得ることが出来ました。
 県政・県議会で、やるべき課題は山積しています。当面はそのための関門を突破すること。一般質問を終えて、決意を新たにしました。
【07.3.11】
発言してこそ―議員では 

県議会本会議での一般質問(60分)は、4年間の任期中、6回。定例議会中、12議会はできません。毎議会一般質問ができるようにすべきです。
 訴えるべき、ただすべき、提案すべき課題は山積しており、議会に出て黙っているわけにはいきません。自治法、県議会規則などを駆使し、質疑、討論、意見書提出者説明と毎議会、本会議壇上で発言してきました。産交再生と旧経営陣の責任問題、BSEの全頭検査実施、パチンコ店規制の条例改正、かがわパーソナルの年金担保の違法貸付等々、10分以内の質疑でも、結構実を得てきました。
 発言するためには、現地調査、資料等の分析整理、政策化などが欠かせません。「議員は、発言してこそ」その職責を果たせる、と信じ実践してきました。
 調べてみたら、全議員(定数55)で、昨年の11月県議会までの一般質問以外の発言(質疑、討論、意見書説明)は100回。そのうち私が55回発言していました。
 2月定例県議会(2月22日〜3月15日)で、6回目、今期最後の一般質問に立ちます(3月7日午前11時)。
【07.2.25】
生徒会選挙

「選挙」というものの体験をはじめてしたのは、高校の生徒会長選挙だった。高校の生徒会選挙とはいえ、タスキをかけて、クラスを回って訴え、全校集会で大演説もした。「生徒の声を学校はもっと聞いて欲しい」「『べからず』ばかりの校則を見直して」といったことを主に訴えた、と記憶している。野球部、柔道部のキャプテンをやっていたクラスメートなどが応援してくれ、全校集会の演説も効いて、当選した。生徒会では、運動会での応援団の櫓(やぐら)禁止などで、校長と「交渉」して、撤回してもらったり、結構活発に活動した。
 当時は、「政治」の道を目指すなど、毛頭考えていなかったが、後々の友人の話では、そういう「気配」はあったらしい。
 長い年月がたった。
今朝も、出勤途中の人と車に向かって、ハンドマイクで訴えた。あのころのシーンがふっとよみがえる。マイクを持つ、冷え切った手に力がはいる。
【07.2.11】
日本映画

日本映画が好調―と感じている。「武士の一分」「出口のない海」「恋するトマト」など、最近見ごたえがある邦画作品に出会った。日本映画の真の復興を願い、かつ期待している。
  日本映画の前途と政治の絡みも見落とせない。
  故黒澤明監督は、「自伝」で、「戦争中の私は、軍国主義に対して無抵抗であった。残念ながら、積極的に抵抗する勇気すらなく、適当に迎合し、あるいは逃避していたと言わざるをえない」と書いているが、黒澤ならずとも、軍国主義に「無抵抗」「迎合」を強制される体制が、戦前においてはつくられていた。
  1939年(昭和14年)に施行された「映画法」は、「映画の製作又は映画の業を為さんとする者は、命令の定むる所により主務大臣の許可を受くべし」(第2条)とし、第5条では、当局の審査を受けることが定められていた。
  共謀罪、改憲手続法、九条改悪といった、ぶっそうな風向きの最近の自公政治。日本映画の先行きにも無関係ではない。


【07.1.28】
どんどや

町内広場での「どんどや」。準備にあたった自治会・老人会・子ども会・婦人会などの皆さんの思いが通じてか、雨も少し間をおいてくれ、風もなく、炎が勢いよく天に向って吹き上がり、さながら、絵に描いたような「どんどや」だった。こども達の歓声に、ホッとしたような、準備にあたった皆さんの表情が印象的だった。マンション建設のため今年が最後の「どんどや」。広場がなくなるのは残念だが、大人からこどもたちへの伝承、町内の融和と共同にしっかり役割を果たした町内「どんどや」だった。
 
「どんどや」は、わたしとって、ゆかりが深い。高1の時、村の「どんどや」の数日後に大学病院入院が決まっていた。左眼の視力がなくなり、「脳腫瘍疑い」で。「どんどやにあたれば病気はせん。しっかりあたれ」と母。母の思いが伝わり、涙をためて、「どんどや」の炎にからだをさらした。1ヶ月半後、「疑い」ははれて、視力も回復して退院した。「死ぬかもしれない」との恐怖から解放されたとき、私は声をあげて泣いた。
 「どんどや」は、わたしを少年時代に引き戻し、私に、新鮮な「やる気」を醸成する機会でもある。

【07.1.14】



日本共産党熊本県議会議員 松岡徹
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