2004年分はこちらです
コラム  
  「ノーモア水俣訴訟」

 水俣病「ノーモア水俣訴訟」の第1回口頭弁論が、昨日・26日ありました。10数年ぶりの水俣病問題での法廷、しかも来年は公式発見50周年という時点での法廷。傍聴席に座る心境は複雑な思いでした。
 原告2名、弁護団2名の意見陳述は、それぞれ説得力があり、胸に深く伝わる内容でした。裁判所が原告1人ひとりについての症状、食歴についての提出を求め、裁判所としての基準をつくることに言及したのは注目でした。
 
 今日・27日、「ダムによらない利水・治水を考える(熊本)県議の会」が正式発足、共同会見を8名全員で行いました。マスコミの注目度も高く、早速現地調査、県民に向けての学習会(2月17日午後6時半、パレアホール)などを決めました。県議52名全員が会に結集するような構えと展望で頑張っていきたいと思います

【05.12.27】
ノーモア水俣病の訴訟、第三陣の提訴行動

 厳しい寒波、身をさすような寒さのなか、ノーモア水俣病の訴訟、第三陣の提訴行動に参加しました。1陣、2陣合わせると690名になり、今後もさらに広がっていくことは確実です。それにしても、不自由な体をおして裁判に立ち上がらざるを得ないところまで追い込んでいく国・環境省の無慈悲さ。北風吹き抜ける裁判所前集会、怒りは熱く沸騰しました。
【05.12.20】
 いま注目ーフィンランドの教育

 経済協力機構(OECD)の国際学力調査で、読解力、科学的応用力で1位、数学的応用力、問題解決能力で1位グループと「学力世界1」になったのはフインランド。ちなみに日本は、読解力は14位、数学的応用力は6位だそうです。

 どこが日本の教育と違うのか。興味深いのは、フインランドの総授業時間は調査対象国のなかで最も短く、学校外学習時間も最短国のひとつだということ。「競争」ではなく「公平と平等」「ランク付けしない」ということが原則で、小学校の定数が20名程度、中学校・高校は16名。図書館およびその分室が多く、読者量も世界1――と現在の日本の教育とは、「対極」と言っても過言ではないように、まるで違います。

 「こどもと教育」の問題が大きな社会問題にもなっている日本。日本の教育を、教育基本法に戻って、根本から立て直す取り組みが必要ではないかー「フインランドの教育」から考えさせられました。

【05.12.11】
  テレビドラマで、毎回涙

 「1リットルの涙」―脊髄小脳変形症という不治の病で死んでいった15歳の少女の実話に基づくドラマ。毎回涙を拭きながらみています。主人公の「病気はなぜ私を選んだの」という小さな叫び、両親の苦悩。人ごとのように思えず、ついつい泣いてしまいます。

 元気いっぱいだった高1、15歳の私の左眼の視力が突然なくなり、「脳腫瘍疑い」。「もう生きてかえれない」「なんで自分が脳腫瘍なんかに」という、お先真っ暗な気持ちでの大学病院入院でした。CT、MRIも当時はなく、頭を剃りあげ、後頭部に穴をあけての検査でした。テニス、陸上などスポーツもやり、受験勉強もわりと順調だった私の病気は、両親には大変辛いものだったようでした。幸い、「脳腫瘍」ではないことがわかり、2ヶ月ぐらいの入院、治療で、視力もある程度回復し、高校にも復帰することができました。その後も病気につきまとわれた高校時代でした。

 ドラマをみて、15歳当時の私、大学病院を退院して家に帰った日のこと、2ヶ月ぶりに高校のクラスに帰れた日のこと、もう亡くなった父や母のことなどを、つい思い出し、泣いてしまう私です。

 それでも私の場合は、ドラマのモデルになった少女と違い、回復し、進学し、自分の人生の目標を見つけ、その道をこれまで歩んでくることができました。

 辛いドラマですが、「大事な人生、元気で、しっかり頑張れ」と背中を押されるドラマでもあります。【05.11.27】


 9月議会閉会

  9月定例県議会が28日閉会しました。今回の議会は、一般質問準備と総選挙と重なり、さらに県議 会事務局の那須君が熊本一区の候補者で出馬と、いろんなことが重なって大変でしたが、無事乗り 切れました(一般質問、討論については、本ホームページの議会報告に近く掲載予定)。

  那須君の候補者としての立派なたたかいに激励され、事務局の援助に来てもらった河野さんに助 けてもらいました。

  10月早々には、五木、泉の14号台風被害調査、貸し金業規制問題、大型店問題、来年度予算要  求など盛りだくさんです。もちろん県政の重要課題である川辺川ダム問題、水俣病問題、有明海問  題にも全力です。

  総選挙と議会でご無沙汰していたテニスの練習に行きました。健康、体力あってこそ議会活動、日 常活動もがんばれるので、こちらのほうも計画的にやっていきます。
 【05.09.30】
 アスベスト問題調査

  1日、アスベスト問題で、松橋町の鉱山跡、工場跡の調査、旧工場周辺住民との懇談、宇城市、熊 本県との懇談、検診に携わった医師からの聞き取りを行いました。日本共産党国会議員団アスベス ト対策チームの吉井秀和衆院議員の現地視察として。

  住民との懇談のなかで、「17年前、問題が大きくならないよう、有力者から押さえ込まれた。今度は そうあってはならない」との声。医師からの聞き取りのなかでも、熱心にアスベスト問題に取り組んで いたひとりの医師が、その取り組み、研究を継続できなかったー大きな力を感じました。もし医師の  取り組みが継続されていたならば、患者の発見、救済という点で、大きく変わっていたかもしれない  ーとの思いがよぎりました。

 【05.08.02】
82年の歴史と新たなスタート

 熊本の部落解放運動は、1923年、熊本水平社として出発しました。戦前の軍国主義、専制政治の弾圧で、逮捕、拷問、病死した先達も。
戦後は、1853年の熊本大水害被害の救援、1963年の渇水時の水闘争、ボス支配に抗しての地域の民主化のたたかい。1970年代後半、部落解放運動のなかに「部落解放同盟」の逆差別・暴力糾弾路線が生まれ、以来この逆流との粘り強いたたかい等々、部落解放をめざすたたかいは82年を刻んできました。

 戦前戦後をとおしての部落解放のたたかい、33年間におよぶ特別措置法にもとづく取り組みによって、部落をめぐる状況は大きく変わり、結婚、就職、地域環境、教育など、さまざまな面で、差別の解消、国民融合がすすみました。こうした状況を受け、昨年全国部落解放運動連合会は終結、全国地域人権運動総連合に、形も中身も大きく発展しました。

 熊本でも、去る7月10日、県部落解放運動連合会を終結し、県地域人権運動連合会創立大会が開かれ、女性、子ども、障害者、部落、ハンセン病、水俣病、労働現場―等々の人権を守る地域運動組織としての新たなスタートをきりました。

 82年の歴史と礎にたって、大きくたくましく発展することを期待したい。私も奮闘、協力を惜しまない。
【05.7.24】
 私の「ふるさと」

 私の「ふるさと」(出身)は、熊本市から車で20〜30分の上益城郡御船町です。御船町と益城町との境にある高山というところです。飯田山の麓、「ふるさと」の歌詞そのままの、「うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの川」のある田舎で育ちました。その田舎も、熊本市の通勤圏内にはいり、宅地化がすすみ、「かの山」にはゴルフ場ができてしまい、大変な様変わりです。

 これまでは、忙しさにかまけて、正月とお盆に墓参りなどにかえるぐらいでした。ひょんなことで、6,7月に、2回ほど高山に行きました。ひょんなこととは、九州横断道路が、高山地区を通るということで、道路公団の説明会がある、あるいはその問題で区の寄り合いがあるとのこと。なにはさておいても、お世話になったふるさと、高山の皆さんのお役に少しでも立てればーと駆けつけた次第。

 農道、用水路も寸断される、騒音はどうなるのか、排水はーと不安は募るばかりのようでした。
 ゴルフ場ができ、高速道路が通る、日本という国ののゆがんだ現実が、ふるさとにもどっときた感じで、心穏やかでありません。私なりに、全力で携わっていきたいと考えています。
 
 そうか高山は7月盆だった。今日、13日からお盆にはいるんだ。うっかりしていました。

 【05.07.13】
 核兵器廃絶―気持ち新たに  被爆60周年、戦後60年

 2日、広島市で原爆詩の朗読をした女優の吉永小百合さんの「日本人全員が核兵器の恐ろしさを、あきらめずに粘り強く、訴えていきましょう」との訴えが、報道で伝えられました。吉永さんの原爆詩朗読は、映画「愛と死を見つめて」、テレビドラマ「夢千代日記」への出演をきっかけに始まり、20年ほどになるそうです。

 ホームページを開くと、吉永さんの核兵器や平和への思いが綴られています。「今年は戦後60年……。また同じ道へ行かないようにということを、いろんな機会に語り続けたい。今年は特に。今年言わないと遅いような気がするので」(「北の零年」と戦後60年)。2日の広島での訴えでは、「いまだに核廃絶の大きな力がでていないのが残念」とも。

 吉永さんの、勇気ある発言と行動は、きっと核兵器廃絶と平和を願う多くの国民に響き、こだましているはず。

 やがて60年目の8月6日(広島原爆投下)、9日(長崎原爆投下)、15日(終戦記念日)がきます。平和は私の生き方の原点。気持新たに、私なりに、平和の語りべに励もう。力いっぱい、憲法9条を守り平和を守る取り組みを。

【05.7.10】
 建設常任委員会視察

 4日、建設常任委員会の管内視察で、1作年の7月20日、土石流、斜面崩壊の大災害に見舞われた水俣市宝川内集地区、同深川新屋敷地区を訪れました。2年前、災害発生の報を聞いて急遽現地に着いたのは、昼過ぎでした。現地について驚いたのは、被害の大きさ、ひどさでした。それは現場に着く前予想しいていたものをはるかにしのぐものでした。両地区とも必死の行方不明者探し。駆けつけた親戚・知り合いの人たちの、祈りながら捜索作業を見守っている姿がありました。

 約2年がたって、復旧・再生作業は、完成または完成まぢかというところでした。両地区の人々が、早くもとの平穏な里のくらしに戻れることを願いつつ、現場を後にしました。

 から梅雨が一転して、大雨洪水警報が熊本県下全域に。から梅雨は困るが災害もごめんこうむりたい。災害は、自然災害のようになりがちだが、自然のバランスを壊したり、必要な災害対策がなされていなかったり等々、つきつめて究明していくと人災ということになるケースがほとんどです。公共事業や自然保護対策等のなかで、防災ということをもっと重視していかなければなりません。、ムダと環境破壊の川辺川ダムや諫早干拓のような大型公共事業ではなく、くらし・福祉・教育・防災の地域密着型の公共事業への転換を。

 【05.7.6】
 7月

 月が変わり、05年も後半に。この欄で、正月の宣伝などについて書いていますが、それから半年。あっという間の半年でした。

 7月7日から就航ということで日航が準備してきた、熊本ー東京間の夜間貨物便。日航が許可申請を取り下げ、就航延期になりました。日航としてはあきらめたわけではないということなので、これからが大事。しかし大きな前進、成果であることは疑いありません。住民の「ノー」の運動の広がりと盛り上がり、熊本県のがんばり、世論の後押しなどが、合わさってのパワーでした。私も、日本共産党の関係市町村議と、国交省に2回)2回とも本省)、日航に2回(1回は本社)、熊本県に2回、要請行動を行ってきましたが、大変うれしく思っています。

 昨日(6月30日)で定例6月県議会が閉会しました。詳しくは、別欄・議会報告でお伝えします(ただし今作業中です)。質疑2回、討論2回、意見書提出の説明1回ーと5回本会議で登壇し発言しました。一般質問はなかったけれど、建設常任委員会、有明海八代海再生特別委員会での議論とあわせ、自分なりにがんばった、という思いは持っています。9月議会は一般質問です。

 【05.7.1】
 航空機トラブルと夜間貨物便

 熊本市、菊陽町、大津町、西原村―20〜30万人が住む、上空を夜中(1時半から4時15分)に轟音を立てて日本航空の貨物便が運航する。「中元」に間に合うように、反対の声も無視して、7月7日から。あまりにも自社の儲け本位過ぎないでしょうか。

 毎日のように起きる航空機トラブル。なぜトラブルが続くのか。航空会社間の激しいコスト競争。そのために、機体の整備をコストが安くつく海外の会社にまわし、人員も大幅削減。「空の安全」の危機、20年前の御巣鷹の日航大惨事の記憶がよみがえります。
 夜間貨物も航空機トラブルも、根っこは同じです。政府の規制緩和、航空の自由化、そのもとでの収益、コスト競争です。

 企業の儲け競争のために、人の命や健康、環境が粗末にされる――到底許せません。
【05.6.26】
 原爆被害者協議会総会

 熊本県原爆被害者協議会(県被団協)の総会に出席しあいさつしてきました。県被団協では毎回、来賓あいさつは「先着順」となっており、2番目のあいさつでした。

全国で原爆手帳が交付されている被爆者は27万3千人、平均年齢72歳。うち原爆症として認定され、治療費や手当てが支給されているのはわずか約2200人、0・8%に過ぎません。この国の政治の貧しさ、おろかさを示している数字です。各地で提訴されている「原爆症認定集団訴訟」の勝利を願わざるを得ません。否、願うのでなく、ともにたたかって勝利をかちとりたい。高齢になられた被爆者の方々の粘り強い運動に、人生の後輩として、学ばされ、激励されました。

【05.6.15】
 水俣病調査

 10日、11日の2日間、日本共産党の市田忠義書記局長を責任者とする共産党水俣病調査団のメンバーとして、江口水俣市長、松本市議会議長との懇談、明水園、ホットハウス、水俣資料館、協立病院の訪問、患者団体との懇談等に参加しました。日程びっしりの2日間でしたが、得るものの多い2日間でした。抜本的な患者救済策の緊要さとともに、今度こそ水俣病問題の解決を図るために、本格的な健康調査、環境調査の大事さを痛感しました。

 水俣病調査と日程がダブったために、有明海・不知火海フォーラムには、事務局の那須君に参加してもらいました。こちらも目が離せません。

 川辺川ダム、諫早干拓、水俣病ー大きな課題、難問に直面している熊本ですが、政策、運動、政治など、様々な分野、場面で、国や自民党などに負けないよう、益々元気でがんばっていきます。

 元気でがんばるためには体力づくり。12日午後、久しぶりにテニスの練習に。バックとボレーの練習、約40分間ストローク、そして1試合、みっちり3時間汗をかきました。

【05.6.14】

 日本航空という企業は、公の空をとぶ資格を有さない、どこかのゼネコンや鋼鉄橋梁工事談合の会社と同類の企業だと感じています。

真夜中の2時から4時あたりに、上空を轟音を立てて離着陸することへの、大津、菊陽、西原、熊本市東部の住民の「飛行を中止して」の必死の願いを無視し、3日に説明かをやり8日には、7月7日就航の申請を出してしまいました。住民無視、儲け優先、従業員の健康もお構いなしといった企業体質ゆえに、トラブルが相次いでいるのでしょう。
(なお日本共産党熊本県委員会、及び私の対応については、ホームページのトップページをご参照いただければ幸いです。)

 【05.6.9】

 19・20日の両日、「要求実現熊本連絡会」の皆さんと、来年度政府予算についての各省庁要請に行きました。国交省、農水省、文科省、厚労省、環境省、経産省、防衛庁への要請行動を2日間行いました(ホームページのトップページをご覧ください)。
 環境省では、大半の時間を水俣病問題にあてました。関西訴訟最高裁判決で、断罪された国が、施しのように、対策を小出しするやり方を厳しく問いただしました。「施しではなく、罪を犯したもの(国)が、被害者に対して償いをするという性質のものだ」と。5月1日の水俣病犠牲者慰霊式に、小池大臣が来て、形ばかりの謝辞を述べ、実行が伴わない国・環境省に、怒りの限界に達している現地・被害者の思いを伝えなければーという思いでした。

5月6日
 3日の憲法記念日は、「九条の会くまもと」の集会とパレード、実行委員会主催のシンポに参加しました。いずれも参加者が多く、「憲法九条を守ろう」との熱い思いに溢れていました。「九条の会くまもと」の呼びかけ人の一人として、政治の場、草の根の運動でも、「日本の宝、憲法九条」を守る取り組みをさらに強める決意を新たにした1日でした。
 
 初孫の最初の「端午の節句」ということで、4日・5日は、孫たちと過ごしました。どういう形でやるかは息子夫妻に任せておいたら、「ハウステンボスで」ということになり、相当くたびれました。
 
 1日は、水俣病犠牲者慰霊式に参列しました。県議は、地元の山本・吉永県議と私の3名でした。潮谷知事の心のこもった謝辞に比べて、小池環境大臣のいかにも淡々とした、薄っぺらな謝辞に、怒りがこみ上げてきました。一番症状の軽い被害者を対象にした保険手帳の受付だけでことを済まそうとしている環境省・政府に対して、患者・被害者の方々の怒りが、式後の要請・懇談のなかで爆発した感がありました。 
 
 2・3月定例県議会の期間中、お休みにしていた、校区スポーツクラブのテニスの練習を再開しました。「思ったより(フオームが)崩れていませんね」とコーチから言われ、安堵しましたが、ひさしぶりにいい汗をかきました。1週間に数時間ですが、スローテンポで、体づくりと上達を目指していきたいと思っています。

【05.5.31】

「知らんふり」「小出し」でいいのか―水俣病対策

 
水俣病関西訴訟最高裁判決後の被害舎救済(補償)策がいろいろ出されるなかで、1人の人間として無性に腹がたつことがある。

 ひとつは、水俣病発生の主犯・加害企業チッソが、「知らんふり」状況にあること。人を殺し、死ぬに等しい耐えがたい苦しみを与えた罪の償いのひとつとして一時金支給をこれまで行ってきた。ただし自発的にではなく、裁判所の裁きなどによって。その最も罪の重い「チッソ」が、今回は、ぬくぬくと「知らん顔」。こんなことが許されていいのか。

 いまひとつは、水俣病の発生・拡大で、最も責任が問われる国が、一番症状の低い患者を対象とする対策(保健手帳受付)だけを示して、症状がひどい人に対しても、「医療費が欲しいならこれを受け入れよ」と突きつける、突きつけたうえでで、反応、状況によっては次を考えようーという態度をとっている。罪の償いではなく、「施し」をくれてやるような態度。最高裁で、厳しく断罪されたもののすることか。私には、大惨事を引き起こしたJR西日本の経営者と小池環境大臣や環境省幹部の顔がダブって映る。こんな流れに、潮谷知事のもとでの県政が追随することなど絶対あってはならない。

 水俣病問題には、人の命の尊厳、人権、環境、企業のモラル、科学者の良心、そして政治と政治家のありかた等々―実に多くのものが含まれている。

【05.5.22】


 ホームページ

 「県議会議員松岡徹」のホームページを開設して、やがて半年を迎えます。学生さんたちの熊本県議会議員ホームページランキングで4位になるといった、望外の嬉しいできごともありました。激励や提案、生活相談などが寄せられたりで、ホームページもそれなりに充実した半年でした。

 ホームページの強みは、執務室事務局の那須クンのがんばりで、県議会の質問、答弁、現地視察の写真と内容、政策提言全文などを、スピーディに、詳しく伝えることができることです。どうしても要約的になるビラや演説などとの違いです。

 「プロフィール」や「コラム」「日記」では、「人間的ふれあい」の場になればと、本音や内面の表現にも心がけてきました。

 そろそろ内容の思い切った更新もとも考えていますが、できるだけ多くの皆さんに、ホームページを見ていただき、助言、意見、提案などいただき、改善・充実につとめたいと思っています。

【05.5.1】


ツバル―地球温暖化に沈む国

 書店で「ツバル」というあまり見慣れない言葉に引かれて、手にしたのが「ツバルー地球温暖化に沈む国」でした。「ツバル」は南太平洋の人口1万人余の小さな国。2000年2月、ツバル政府は、国土が海に沈むのは時間の問題として、国土が完全に沈んでしまう前に、国民の国外移住を決定しました。地球規模の環境難民の第1号―それが「ツバル」です。「ツバル」政府は、脱出先として、同じ英国連邦系のオーストラリアとニュージーランドに要請。オーストラリアは拒否、ニュージーランドは年間75人を限度に受け入れました。小国とはいえ国がなくなるという重い現実が綴られています。

 水俣病、川辺川ダム、諫早干拓、さらには熊本市の市電存続(80年代)・延伸(現在)等々―私がとりくんできた、またとりくんでいる、これらの課題の共通項は「環境」。

 地球温暖化、海面上昇、海岸の浸食、土地の喪失が言われて久しい。そんななか1冊の本で知った「ツバル」のことは衝撃的でした。

【05.4.17】

 2月定例県議会の一般質問で取り上げた、被爆者の写真を使って、教員が児童の肝試しをやった問題ー県教育委員会として、県被団協から講師を招いて、時間をかけた研修を、小・中・高校の校長・教頭先生、人権担当の先生を対象に実施することになりました。今年は被爆60年ーいま尚多くの被爆者の方々が苦しみながら生きています。核兵器の恐ろしさ、被爆者の苦しみを、時とともに風化させたり、消し去ることは絶対にあってはならないと思います。4月24日からニューヨークで、核拡散防止条約再検討会議が開かれます。熊本からも13名の代表が参加します。

 「研修」というと「同和研修」など、必要のないものもありますが、このたびの被爆者の話を聞く研修はしっかりやってもらい、実りあるものなることを期待しています。

【05.4.15】
「金八先生」の「やよ」と「県次世代育成支援行動計画」

 「3年B組金八先生」――今回のシリーズでは、青少年の間での覚醒剤汚染という重いテーマを取り上げました。視るのがつらいときもあったし、深く考えさせられました。そんななか、ホッとするのは、「発達障害」と思われる生徒「やよ」の描きかたでした。彼女は、「パン」づくりに自分の喜びと可能性を見つけました。

 2月県議会で議決された「熊本県次世代育成支援行動計画」。「少子化対策は県政の重要課題」とする潮谷知事のもと充実したものになっています。「計画」には、LD・ADHD・高機能自閉症児を含む障害のある児童生徒に見合った特別支援教育の推進を謳っています。
 先日、親しい友人夫妻、その娘さんと一緒に、県教育委員会に「LDなど支援策の具体化・強化」について要請しました。

 子どもの、一人一人の人権の尊重と可能性を引き出す、配慮と施策の具体化を、県政・県行政に、切にのぞみたいし、私も、こうした分野・課題に、大いに力をいれていきたい。

【05.4.3】

  先生たちへの応援メッセージ

 県PTA新聞に「先生がたは疲れている」と臨床心理士の方が書いています。「まじめな先生ほど疲れている」「先生のどなたかが自殺か過労死でもしなければ、世間やマスコミはわからないのだろうか」と。現場の先生がたに聞くと、「家に帰るのは午後8時ぐらい」とのこと。県教委によると年間(16年度)の休職者63名のうち40名が精神疾患だということです。

  学校訪問をしました。どの学年、クラスでも、一生懸命の先生たちの姿が印象的でした。全力で授業をし、いい授業をするためにはしっかり準備をし、クラブ活動、実務、家庭訪問と先生たちの1日は、過密で長時間です。また学校には、若い先生があまりいません。20代の先生はわずか7・6%です。

 不祥事などで先生バッシングがさかんな昨今ですが、教育の現場、先生たちの超多忙でハードな実際の姿をもっと知って欲しいと思います。

 先生たちをもっと増やし、若い先生も増やし、30人学級実現のために私も頑張ります。

【05.3.20】


 新型電車とともにやってくる明日の熊本

 3000名を超える地域の住民からアンケートをとり、あるいは対話して、熊本大学の学生がまとめた「長嶺 ・帯山地域への市電延長に向けての交通計画の提案」。その説明(報告)会が、長嶺団地集会場でありました。無類の市電ファンである私―いそいそと参加しました。 

 長嶺・帯山地域へのLRT(新型電車システム)の導入について、「賛成」「どちらかといえば賛成」が、86%ということで、私の予測を大きく上回る高さでした。現在車を利用している人の期待率もまた、予測を上回るものでした。渋滞を解消し、通勤、通学、通院、買い物の便利な交通システムとまちづくりの提案に、「ゆめのようだ」「実現できたらすばらしい」との感想が出されました。

 20数年前、「熊本市電を残そう」とみんなで頑張って、2号線(健軍―田崎)、3号線(健軍―上熊本)が残りました。1昨年、県議会で「長嶺・帯山への市電延長」をとりあげました。いま開会中の県議会 ・一般質問で再度とりあげます。

 10年、20年、30年後の熊本市―がんばりようでは、長嶺・帯山線をはじめ、新型電車を軸にしたこどもと高齢者・障害者にやさしい交通システムと環境共生型のまちになっているかもしれません。
そんな期待が膨らんだ、フレッシュで一生懸命な学生さんたちの「報告会」でした。

【05.3.6】



 水俣病と出会ってから30数年

 青年運動(民主青年同盟)の専従をしている時、20代も半ばの頃、水俣市月の裏の胎児性水俣病患者を訪ねたのが、私の水俣病との最初の出会いでした。73年の1次裁判判決の時は、裁判所正門前でもみくちゃになり、一張羅のブレザーの両袖をもぎ取られ、やっとの思いで法廷に入ったものでした。

 2次裁判、国家賠償訴訟、95年の政府解決策による1万人を超える救済、そして国と熊本県の責任を明確に断罪した最高裁判決をうけての救済・解決策の検討・具体化。‘世界最大の公害‘水俣病の根本的な解決へ、歴史の歯車は大きくすすんでいます。同僚議員の厚意で、「水俣病対策特別委員会」に所属することになりました。

 歴史の歯車の逆戻りを許さず、水俣病患者・被害者の救済、地域の再生、そして環境を守る世論と運動の新たな高揚のために全力投球で頑張ります。

【05.2.20】


川辺川との出会いとつきあい

 川辺川ダム建設問題は今年、大きなヤマ場を迎えます。新利水計画づくり、春の県収用委員会の判断、治水問題での住民討論集会など、大事な局面が連続します。
 
 川辺川と私が最初に出合ったのは40年前の大水害でした。肥薩線が不通で、鹿児島の大口などを経て人吉に着き、ほとんど歩いて五木村へ。医師1名、看護士2名、学生3人で、1週間、医療、災害復旧などに取り組みました。大変な1週間でしたが、私の人生の中で、忘れられない1週間でもあります。

 それ以来、ずいぶんと長い付き合いになる川辺川ですが、「川辺川ダム」については、「中止」をかちとり、今年かぎりの付き合いにしたいものです。

【05.2.6】

 「北の零年」

 「北の零年」をやっと時間をつくってみました。「サユリスト」のひとりとして吉永小百合さんの映画はほとんどみてきたつもりですが、彼女の111本の映画のなかでも、ベストファイブに入る(自分的に)感動的な内容でした。

パンフレット(のインタビュー)のなかで、「今は、日本に住む私たちがどういう方向に進んでいくのか、自分で考えなくてはならない大事な時期だと思うんです。この作品の志乃達は、もっと厳しい状況の中で自分を見つめて、心も土地も開拓していった。今の私たちにできること、やらなくてはいけないことはなんなのか? そういうことも重ね合わせてみていただけたらうれしいですね」との思いが、伝わってくるようでした。 行定勲監督は熊本県出身。01年の「GO 」で日本アカデミー監督賞などなどをとり、昨年は大ヒット作「世界の中心で愛をさけぶ」を撮ったひとで、気力と豊かな才能を感じる監督です。監督いわく「この映画が、今の日本人の心に刺さってくれたら幸いである」

 くらしも、平和も、一面「厳しい現実」「先の見えない状況」があります。今年は、その状況を切り開いていかなきゃならないーと期してスタートしました。そんな私に、大きなエネルギーを与えてくれた「北の零年」でした。

【05.1.20】

「成人の日」  

 寒い「成人の日」でした。宣伝カーで流しと辻演説をして事務所に帰ったときは体は冷え切っていました。でもこの日、「成人の日」を迎えた新成人の表情は、やはり輝いていて、大いに元気をもらいました。マスコミが1部の会場の喧騒を大々的にとりあげるのには疑問を感じます。多くの健全な新成人に気の毒な気がして。

 私は、「成人式」には参加しませんでした。当時「学生セツルメント」という、今でいうなら「ボランテア」サークルの活動に没頭していました。大学病院ウラの地域で子ども会などを組織して、そっちが忙しく「成人式」はご無礼したというものでした。

 この「セツルメント」活動をつうじて、「貧富の差」や「戦争」などについて考えるようになり、「奉仕」だけでは、「貧富の差」も「戦争」もなくせない。政治を変えなきゃーと日本共産党に入りました。

 「成人の日」は、時空を超えて私の「原点」を思い起こさせる日でもあります。

【05.1.16】




日本共産党熊本県議会議員 松岡徹
〒862-8570  熊本県熊本市水前寺6-18-1議会棟内
TEL・FAX  096-385-8770 MAIL :matsujcp@khaki.plala.or.jp